おはようございます!
いつもありがとうございます!


コメントメッセージゆっくりですが
順番にお返事しております。
気長にお待ちいただければと思います。


昨日の記事にお気遣いのコメント
ありがとうございました!
多くの方には意図が伝わってると
わかりホッとしています。
後々ちゃんと個々にお返事しますが
取り急ぎお礼申し上げます。



では今日でキジトラ編
vs小学生の部は終了です!



ここまでの話はこちら↓
茶トラ編はこちら↓



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子どもたちに預けた仔猫が
どういう運命を辿るのかという予想は
迷いましたが言いませんでした。


言ったら傷ついたかもしれないし
その分心に響いたかもしれませんが
それは私が教えなくても
いつか知ることだと思ったので。



悪い言い方をすれば
私がそこでわざわざ酷なことを教えて
悪者になる義理はないなと。



預かる役になってしまった子が
どういう経緯で仔猫を手離したのか
私には想像するしかありませんが

どんな経緯があったにしろ
当事者なら少なからず
感じることがあると思います。



できるならその気持ちを
忘れないでほしいなと思います。




いつもにも増して
ぼんやりした文章に
なってしまいました^^;




昨日頂いたコメントの中で

批判も予想されるこの話を
わざわざ書いたのは懺悔の意味も
あるのではないか?

というものがありました。
(勝手に引用失礼します)


頂いたコメントの意図とは
もしかしたら違うのかもしれませんが
贖罪を意識してるのはその通りで

この一連のエピソードは飛ばして
「拾ったのは3匹でした」
から始めても良かったんです。


現にかなり前の過去記事では一度
そういう風に書いたことがあります。


今回そうしなかったのは
直接の原因は別にあるにしろ

私があの時止めていればあの仔猫は
助かっていたかもしれない

という思いがずっとあったからです。



私自身への戒めのためにも
いなくなった仔猫のことを
なかったことにして
ただの美談のように語ってはいけない
と思って書きました。



茶トラと私が出逢ったように
あの仔猫にも
奇跡が起きていればいいのにと
時々思います。





次からはもう
微笑ましい?話になるので
安心してお読みください!


でもその前に
こまちゃんネタもご無沙汰なので
ちょっと入れたいと思ってます!




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